01 空へ

 いったい、何が起きたのだろう……。
 ここは、どこなのだろう……。

 そんな問い掛けばかりが、空虚な心に湧き出てくる。

 逆さまになりながら澄み切った空を見上げると、遠く高い所で《虹色の風》が小さく巻きながらどこかへ飛び去っていくのが見えた。
 それがなんとなく、置いて行かれたようで、ひとりぼっちにされたようで……淋しくて、少年は呻いた。

 声に出すと、心の中に満たされていた感情が流れ出て……再び空になった。
 きっと、僕は迷子になってしまったんだ。
 僕は今、天上でも地上でもない世界にひとりぼっちなんだ。
 少年は静かに瞼を閉じた。体に触れる風を感じていれば、いつか自分も空気に溶けて、風になれる気がした。風になったなら、どこへでもゆけるだろうに……。

 僕はいったい、どこにいるのだろう。

 時間の経過と共にだんだんと頭が冴えてくる。
 頬を撫でる風を確かに感じた、その瞬間、彼ははっきりと目を見開いた。
 ここはいったいどこなのだろう。あの風は何だったんだろう。あの風はいったい……。
 あの風は、さっきの砂嵐なのだろうか。友達は、町は、無事なのだろうか。
 見れば、大木の枝と枝との間に、器用に引っ掛かっている自分が何とも惨めだった。だが、生きている。どこにも怪我は無い。
 もう一度空を見上げた。青い空の光が梢から燦々さんさんと優しく溢れて、眩しかった。
 大丈夫――。
 そう思って、アウロは木から飛び降りた。

 今まで踏んだことのないような硬い地面の上に着地すると、乾いた土の匂いがアウロを包み込んだ。風は葉っぱの間を吹き抜けて、彼の頭上でさざめき笑うと雲の向こうへ流れ去った。その雲は素晴らしく大きくて白かった。
 空の青色と雲の白色と、目の前に広がる緑色の空間は、アウロの見知らぬ世界だった。
 瞳に映るもの、感じる全てが知らないものばかりで、声も出せずにアウロは立ち尽くした。
 ゆっくりと首を反らすと、緑葉の天井が見えた。先程まで自分が引っ掛かっていた木だ。――この木の名前をアウロは知らない。だけれども、無数の揺れる円い葉っぱが、木洩れ日をキラキラさせて、単純に綺麗だと思った。

 僕は、どこにいるのだろう。
 強く握り締めた両手に爪が食い込んで痛いと感じた。
 とりあえず、死んではない。そもそも、ヒトは死んだらどこへ行くのだったっけ……。
 あの風は、本当に砂嵐だったのだろうか。あの不思議な風は……どうしてこんな所に僕を降ろしたのだろうか。
 こんな全く知らない所から、どうやって帰ればいいのだろうか。
 分からないことだらけ……。

 柔らかくて少し冷たい風を全身で感じると、現実が圧し掛かってきた。夢なんかじゃない。ああこれは夢なんかじゃない。アウロは自分の知らない世界にいきなり放り出されたことに呆然とした。
 瞼の裏に感じる眩暈。
 どうすればいいんだよ……
 どうして、と叫びたかった。問い質してやりたかった。風に、あの空へ消えた風に――。でも、唇を真一文字に結んで途方もない空を睨むことしかできない。
 その時、口の中でジャリッという音がして、アウロは顔を顰めた。
 砂が、いつの間に入り込んだのだろう。アウロは咽るように砂を吐き出した、渇いた甲高い咳と。
 着ていた上着の端を掴むと、普段とは違う重たさを感じた。もしやと思い、着ていた上着を脱いで両手で振るうと、予想通りどこからともなく砂埃がザラザラと払い落とされた。すっかり綻び埃っぽくなって、まるで朝着ていた物とは全く違う物のようだ。
 上着を再び羽織ながら、ぐるりと首を一回りさせて、もう一度辺りを見回した。
 アウロの真上、枝葉の隙間から白い物が見え隠れしているのに彼が気づいたのは、それからほんの数秒後だった。
 枝の間で揺れているのは、アウロが砂嵐の中で、唯一手離さなかった自分の鞄だ。
 それを取りに上がっても、今すぐ彼の役に立つ物が中に入ってるはずがないことくらい承知の上だった。それでも、放っていく訳にはいかない。
 太い枝を選んで、もう一度木によじ登った。
 アウロが引っ掛かっていたその大きな木は木登りにはちょうど良い育ち方をしていて、あっという間に彼は自分の薄汚れた白い鞄を掴むことができた。
 ふと見上げた先で空の欠片がきらきらとしている。
 そうだ、高い所へ行けば何か見えるかもしれない。
 重たい鞄の肩紐を体に巻きつけるように身に付けると、アウロはさらに上へ登ってみた。そして適当な枝を支えに樹冠から身を乗り出した。
 アウロを救ったこの大樹が、この辺りで最も背の高い木らしく、一目で周りを眺望できた。

 それはアウロが目をみはる光景だった。たとえるなら、一面に広げられた瑞々しい緑色の布だ。きっとそうだ。誰かが砂の上に大きな大きな緑の布を広げたに違いない。
 太陽はすでに西の方へ少し傾いていた。東には先の尖ったような高い山々が峰を連ねている。その山の天辺までずっと深い緑色は続いている。風が山の麓から天へと斜面を駆け上がって、大きくうねる様子は、小さい頃に想像した巨大な竜に似ていた。
 眼下に広がる森は無限に広がっているかのように見えた。
 しかし、太陽の方角に光るラインを認めて、胸が高鳴った。それは銀色に輝く海だろう。
「…海!」
森を越えた場所に、海は輝いて、唯一の希望に見えた。緑の上に蜃気楼を見ているような気持ちがした。何度も目を瞬かせ、よく確かめてみたが、目の錯覚では…なさそうだ。
 その昔より、人々は水辺に集落を構えてきたという。
 海の近くに町はある、のかな。いや、あるはずだ。
 目影差して太陽を見た、時間は…分からない。推測で憶測だ。腹時計でもいい。しっかりと、その方角と位置を確かめた。

 じっとしていても始まらない。
 アウロはスルスルと木から降りると、鞄を肩に掛け、海の見えた方角を目指して歩き始めた。
 大丈夫、大丈夫、きっと何とかなる。あの海まで、辿り着いたら――。


モドル/ススム

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