|
目に映るもの全てが自分の知るものとは違っていて、一つ一つが驚きと不思議に溢れていた。ここは彼にとっては全くの別世界――。 凹凸のある地面にまた空気に瑞々しい香りが満ちていて胸がいっぱいになった。そこに植物が根付き、確かに生き物の気配がした。風も大地も豊かで、とても穏やで――土を踏む感触も、風の色も、形も。日の光も気にならなかった。額に当たる風がひんやりと心地良い。アウロは上着の裾を風にはためかせた。 どこまで来たかな。 ここは……いや、考えるのはよそう。 ごらん、緑の天蓋から垣間見える空がだんだんと光を失ってきている。陰る森の歩き方など知らない。だけれども、温もりに置き去られることが、彼の不安を煽る。 考えるのはやめよう。ただ、早く、早く。 言い聞かせながら、早く、早く。きっとすぐ。きっともう少し。方向は分かっているはず、なのだから。 知らない――それがどのような危うさを孕んでいるか、彼は知らない。少年を諭してくれる大人はここにはいない。 延々と続く緑。その中をひたすら歩き続ける。いったいいつ切ったのか分らないような掠り傷でアウロの腕や足首は赤くなっていた。 今、何時……。今、どこに――。 計る術もなく、歩き続ける。 疲れ切っていた。でも、休むことなんて考えなかった。止まった瞬間に不安に浸食されてしまうことを無意識に感じ取って、歩みを緩められなかった。 鬱蒼とした森の中を方角だけを頼りに歩き続けていくと、唐突に目の前がさっと明るくなった。 眩しさに目を細めた。刹那、ガクッと身体が仰け反り、全身を打った。そして再び宙に浮く感覚――。 落ちる、落ちる――落ちる落ちる落ちる! 助けて助けて助けて…!! 目をぎゅっと瞑ると、あの砂嵐が蘇ってきた。 全てを削り取る力で襲い掛かってくる、僕がちっぽけな存在だって思い知らされるためだけに。身体を引き裂くような轟音が奥底から響く、耳を塞いでも聞こえてくる。そして、恐ろしい色彩――心を抉るような、痛みを伴う、美しさ。 言葉にするなら、《虹色の風》 ああ、もう、どうだっていい!僕はちっぽけな存在なんだ!何もできない!何もできないんだろう!? ああ、そういうことにして、もうお終いにしてほしい。 これ以上は、怖くて、怖くて、怖くて怖くて……いけないから!! 夢現の中で、豊かな森の向こうに銀色の光を見た。手を伸ばすと掴めないけれど、指先が掠って、温かさを感じた。同時に自分がこんなにも冷たくなっていることにも気づいた。 もしかして、死んでしまった? ――全身が重い……。 やっぱり、そう? そうだと思った。そうだよね。 だって、生きていてこんなこと今までありえな――。 「いッ……たぁ!!」 アウロは思わず叫んだ。…だって、本当に痛い。 「あ、生きてた。」 と言う男の声が頭の上から聞こえる。手の甲を思いっ切り抓り上げていた張本人だ。 アウロは、顔を顰めながら目をうっすら開いていく。目に飛び込んできたのは、人間の顔。少なくとも天の御使いではない。もっと人間臭い人間の顔だ。 「なんだ、気を失ってただけか…。」 アウロは重苦しい気分で男を見上げた。彼は屈み込んでアウロを見ていた。辺り一帯が薄暗いせいもあって、表情まではぼんやりとして分からない。 「起きる?」 と、男はアウロに手を差し出した。アウロに心身の余裕は残されておらず、小さく頷くと、その手を弱々しく取った。強い力で握り返され、少々乱暴にアウロは引き起こされた。 目を瞬かせると、現実に引き戻されてちょっとがっかりした。 相変わらずの緑は、差し込む夕陽に真っ赤に色付いていた。薄暗くて当然の、夕方だ。 「どうした?」 その声には無神経さが含まれていて、アウロへの気配りはあまり感じられなかった。。アウロはもう一度、目の前の男を見た。まるで小山のような大きなリュックを背負っている。中身は分からないがその重みなど大した事ではないと言っているようながっしりとした体つきの、青年だった。 どうしたと訊かれても答えにくいものがあった。頭は混乱状態を残しており、はっきりしないものが胸の内を渦巻いている。そんなアウロの表に現れたものを読み取って、青年は別の質問に切り替えた。おそらく答えなくても、彼は特別気にしないだろうが。 「名前は?」 「…アウロ……。」 アウロは苦労して喉の奥から声を絞り出した。そして、ゆっくりと立ち上がった。 「おっと…。」 青年はふらふらしながら立つアウロの腕を掴んだ。暫くアウロが立つのに慣れるのに付き合うと、周囲を見遣って言った。 「お前が何者かなんて、俺の知ったこっちゃない。どうしようとも、お前が俺に楯突くことなんてできない。分かるだろ?」 アウロはこっくりと頷いた。もちろん、彼が何を言っているのか分かってはいない。 「“仕方なく”“善意で”助けてやる。ついてこい。話はそれからだ。」 アウロはまた頷いた。ついていくしかない。 青年の後を追って、アウロは歩いた。鞭打つように体を動かした。 彼が何者で、どうしようというのか、そんなのアウロにはそれこそ知ったこっちゃないことだった。 でも、そういうことは全部、後で考えることにした。置いて行かれないように、一生懸命、追いかける。 これから、何が待っているというのだろう。その時になってみないと分からないけれど、全部、全部その時になってから、考えることにしよう。 アウロの握りしめた掌には、指先に残っていた微かな海の感触があった。 |
| 広告 | [PR] 花 お試しセット ネットスーパー おいしいコーヒー | 無料レンタルサーバー ブログ blog | |